走馬燈が如く

高校の時は、よく一緒にいた。
クラスも違っていたし、知り合ったのが3年だったために、あまり長い時間を共有することはなかった。
しかし、放課後の図書室で2時間も3時間も話し続けたのは、私にとって貴重な時間だった。
私とマリィは全然違うのに、どこか似ている部分があった。
私の持つ憂いの方面は、どこか似た人を惹きつけるようだ。
いや、私が惹かれるのか。
「私の周りには変人が多い」ということもそういうことなのかもしれない。


私の抱えた闇を見て、人は距離を取る。
2年の時に作り上げてしまった殻は、人に近づくことを躊躇わせた。
2年の時に、私は友人を呼べる人の大半を失った。
いや、人の闇を見て嘲るものなど、友人などではなかったのだろう。
けっきょく、人間付き合いから生まれた、ただのヒト。
そんな私を、マリィはしっていた。みていた。
あの時代の私を知られることは、私にとって恐怖でしかなかった。
しかしマリィは「キミはあの頃のキミではないことを、私は知っている」と言ってくれた。
私は強くなることを決心し、変わる努力をしていた。
そんな私にかけられた、マリィの言葉。
嬉しかった。
変われる気がした。


私が福祉系の大学に入ると決めた時、高校1年よりも前からの私を知っている人は「ありえない」だとか「うそだ」とか言われた。
文句はない。私でも客観的に見ればそんな人間だ。
しかし、高校3年から私を知った人に言えば「よくあっていると思うよ」だとか「ピッタリだね」などと言われた。
変われる。人は変われる。
そう思えることが嬉しかった。


私にとって大事な人を聞かれれば、小学校や中学校、高校の時の少ない友人や親、そしてマリィの名前をあげるだろう。
私はマリィのことが好きだ。
友達としても、異性としても好きだ。
しかしマリィからすれば、私はあくまで「異性の友達」でしかなかった。
友達としては好きだよ、と。
去年の夏に、はっきりとそのことを告げられた。
しかし、大事な友達という関係は崩れなかった。
崩したくなかった。崩れるのが怖かった。
だから、多くの言葉を交わし続けた。


そして、年末、私はマリィから一つのことを告げられた。
恋人ができた。
携帯サイトで知り合った、年上の人。
だから私は、マリィと距離を取った。
決別の言葉の意味を汲み、連絡を絶った。